日々のくらし米麦野菜 清水農園・厚木

神奈川県厚木市の小農家 都市化の中でチャレンジ

用水堀ざらい

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6日午前は稲作農家の共同作業である堀ざらいの日、朝から晴れてよい日より。たまに雨の時もあるが大雨以外は実行。今回は水門付近の土砂さらう。この用水は中津川から水を引き入れ、集落を一回りし、田を潤し、相模川に注ぐ。今は田は15ヘクタール。畑の灌漑にも使う。歴史は古く、言い伝えでは仁治2年(1241年)に時の領主本間六郎左衛門尉重連が杉山将監弘政に依頼し領民に命じて掘らせたという。水田開発は生活を豊かにする基盤であったのだ。この水門の脇には、延享2年と彫った水門縦樋と思われる石造物があり8代将軍吉宗の時代。紀元2600年と刻んだ石碑もある。写真の水門はこの紀元2600年のものか昭和27年から始まった土地改良区による造営か。この用水は標高差3メートルを2000メートルで下がる。水路をコンクリートで囲わない素掘りの時代はこれ以上の勾配では脇を削ってしまう。加えて関東ローム層の土丹も奏功した。伊勢の立梅用水や長野佐久の用水も調べると同じ勾配だった。小高いお寺の墓地から見ると昔は高いものがなく集落全体を見渡せたと思う。測量の技術が拙くてもこの用水が出来たと符合する。